師は弟子たちにこう言われました。"わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫です。" その時代の文化に生きる人々は、ぶどうの木やぶどう園のことをよく知っていました。ぶどうの木は枝に命を与え、木がなければ枝は生きていくことができません。師はこの情景を用いて、大切なことを弟子たちに教えられました。枝がぶどうの木につながっていなければならないように、弟子たちも師につながっていなければならない、ということです。父なる神は農夫のように、ぶどうの木を大切に世話してくださいます。実を結ばない枝は取り除かれ、実を結ぶ枝は、さらに多くの実を結べるように刈り込まれます。刈り込みは時として痛みを伴うものですが、それによって枝は健やかになり、命に満ちあふれるようになります。同じように、神はわたしたちの人生から時に何かを取り除かれます。それは、わたしたちが神により近く成長できるようにするためです。師は弟子たちに言われました。"わたしがあなたがたに話した言葉によって、あなたがたはすでに清くなっています。" 師の教えは彼らを整えていたのです。しかし師はまたこうも言われました。"わたしを離れては、あなたがたは何もできません。" 枝が切り取られれば、枯れて死んでしまいます。しかし木につながっていれば、実を結びます。師が語られた実とは、ぶどうの実のことではありません。それは愛、親切、忍耐、そして師に属する者であることを示す善い行いです。師は弟子たちに新しい戒めを与えられました。"わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。" そのような愛は、自らを犠牲にする愛です。師はまた、世がご自分を憎んだように、弟子たちのことも憎むであろうと警告されました。しかし彼らは独りではありません。師は聖霊、すなわち“助け主”を遣わすと約束されました。助け主は弟子たちを導き、勇気を与え、これらの言葉を語り伝える助けをしてくださるのです。
肖像 15 / 21
ぶどうの木
“わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。”
考えるべきこと
イエスは真のぶどうの木です。私たちが御子のうちにとどまるならば、私たちの人生は成長し、神に栄光をもたらす実を結ぶことができます。