肖像 9 / 21

世の光

“わたしは世の光である。”

大いなる都において、師はその生涯をずっと盲目であった男に出会われました。弟子たちは尋ねました。"この人が盲目に生まれたのは、誰の罪のためですか。本人ですか、それとも両親ですか。" 師は答えられました。"本人の罪でも、両親の罪でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。わたしが世にある間、わたしは世の光です。" それから師は地面に唾を吐いて泥を作り、その男の目に塗られました。"行きなさい"と師は言われました。"ダビデの町の池で洗いなさい。" 男は言われた通りにしました。すると生まれて初めて、彼は見えるようになりました。彼を知っていた人々は驚きました。信じた人もいましたが、これが本当に同じ人物なのかと疑い続ける人もいました。宗教的指導者たちはこのことを聞くと、これがすべて安息日に起こったという事実に目を向けました。彼らはその男に問いただしましたが、男はただこう言いました。"ひとつのことだけは知っています。わたしは盲目でしたが、今は見えます。" 指導者たちは彼の両親を呼んで、彼が本当に盲目に生まれたかどうかを確かめようとしました。両親は彼が盲目に生まれたことは認めましたが、宗教的指導者たちを恐れていたので、それ以上は何も言おうとしませんでした。そこで指導者たちは再びその男を呼び出し、癒した方を断罪しようとしました。しかし男はかえって彼らに向かって言いました。"あの方がもし神からでなければ、何もできなかったはずです。" この言葉のゆえに、彼らは男を外に追い出し、もはや交わりを持とうとしませんでした。後に師はその男を見つけて尋ねられました。"あなたは人の子を信じますか。" 男が、それはどなたのことですかと問うと、師は答えられました。"あなたはすでにその方を見ています。今あなたに話しかけているのがその方です。" 男は言いました。"主よ、信じます。" そして彼は師を礼拝しました。

考えるべきこと

この癒し主は、肉体の目だけでなく、霊の目をも回復させてくださいます。必要を抱えて御もとに来ようとする者は、この光を受けることができます。しかし、自分には見えていると主張する者は、盲目のままにとどまるのです。